【タイの物乞い、乞食】どう対応・対処すれば良いか考える

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タイに訪れると必ず見かけます。

“物乞い・乞食”

パタヤでは市場内や外国人が通る歩道で見かける機会が多いです。

あなたが物乞いを見て感じることは?

ある人はこう思うでしょう。

1.可哀相

タイは格差社会です。

金持ちの家系は金持ちになりやすく、貧乏の家系は貧乏になりやすい社会的構造が成り立っています。

タイは元々格差社会」によると、

●サラリーマンの数は、タイの労働人口3850万人の3分の1程。ほとんどが農業か小自営業―屋台などです。

●相続税もいままではなかったので金持ちは金持ちのままで身分は固定されていました。

●日本人は皆平等という考えがあるのに対し、タイでは上の階層の人は下の階層の人とは表面的には親しくしても一緒に遊びにいったり付き合う事は未だにまれです。

また「新興国における絶望的な格差。日本では貧しい人ほどリスクを取らなければならない理由」によると、

●日本ではアルバイトでも大卒レベルの給料を稼ぐ事は不可能ではない。しかし、タイでは豊かになる人はどんどん豊かになっているのに最低日給は抑えられたままなため、ホワイトカラーと呼ばれる仕事の給料とはあまりにもかけ離れ、今もなおその差は広がっている。

●タイでは学歴やコネがない人が、仕事で大卒の給料を越える仕事にありつけるなんて事は殆ど無い。

●貧しい地方で生まれ、価値付く不動産も持たない大多数の人達は、地区でも有数の進学校で優秀な成績を修めない限りは学費のサポートを受けるのも難しい。大学への進学も諦めなければならなず、高給な職へ就く事も難しくなるのである。

このように貧しい人たちの多くは貧しいままの生活を送り続けます。

とは言っても、貧困層の人々でも働き口はあります。前科がある人でも働くことは可能です。

でもやはり日本人なら本能的に感じられずにはいられませんよね。

“物乞いしているなんて、可哀相”

2.怠惰の結果

職に付いて真面目に働かなかった結果がこれ。

タイ人は今自分がサバーイ(心地良い、気持ち良い)かどうかを優先し、先の深刻な状況を想像できても「なんとかなるさ~」と軽視する傾向が強いため、物乞いになる人は怠惰の結果だと思う人もいるでしょう。

よって、ここでお金を援助しても、各人の根本的な問題は何も変わらないと。

 3.別になんとも

その国の事情だし、物乞いしている人が不幸かだなんて分かるわけがない。

よって、「何もしないのが一番良い」と。

私の場合は?物乞いにも種類がある

物乞いへの援助は、”正解なのか?or不正解なのか?”

私は援助することが多々あります。

「今日は巡り合わせが良かったな!上手いもの食べろよ!」と。

まぁ20Bほどですが。

物乞いにも様々な種類がありますよね。

  1. 親族が急病で倒れ、治療費がほしい。
  2. 事故で怪我をし、障害をわずらったため、働き口を見つけることができない。
  3. 肉体労働ができないまでに、年老いた。
  4. 学費が足りない。
  5. 単に働きたくない。
  6. 幼児の世話をしながら、稼ぐ方法が物乞いしか思いつかない。

など。

また最低な?うまく偽装した?物乞いもおり、お金と水以外の物(例えば、バナナ)などはすべて、ゴミ箱に捨てる人もいます。

さらに物乞いを仕事にしているor良い用に使われている物乞いもおり、障害者と相方二人、もしくは子供だけでレストランを回り、お金を回収したら、近くで待機している人の車で次のレストランへ向かいます。そして回収したほとんどの金を親族もしくは元締めが受取り、当人たちは少額しか受け取ることができないなど。

私が援助する理由

①「自己満足のため、偽善心を満たすため。それにより自分の気分が良くなるから」

私には”善意は欲”という言葉が当てはまる単純な男です(^^;)

対価があるから、お金を払いますよね。ここでの私にとっての対価とは善意という欲を満たすことですね。しょうもない欲の満たし方なのだろうか…?

②「共感」

物乞いする人は、そこから抜け出す解決法を物乞いしか考えることができないor行動できないと私は考えています。

決して上から目線で言っているわけではありません。

私も頭が悪い分類に入ると自覚しているため、理解できるのです。

例えば、このブログを読んで、

「こうした方が良いのに、なんでこうしないのかな?」

と思う人も多いかと思います。

もっと改善できるのに・・・私はそれに気付かない(T-T)。そもそも気付こうとしているのか!?気付いても行動しようとしているのか!?それらのことすら気付かない・・・この理由が物乞いと同じだと感じます。

彼らも私と同様、改善策・解決策を考えることができないうえに、誰も教えてくれないため知ることもできない。

ある心理学者は、記事の中で募金をする人の多くは「共感」から来ていると述べています。

「募金するかしないかは、『共感』できるどうかによって変わります。例えば、2011年には東日本大震災がありましたが、実家が被災地域にあるというような人の多くは募金をしたのではないでしょうか。これは、被災した人たちの気持ちを自分のことのように感じるからです」

私は誰かが私に利益になることを表面的にでも教えてくれることは嬉しいと感じます。

よって私の場合、それらの共感があるため「今日は巡り合わせが良かったな!上手いもの食べろよ!」と自分がしたい範囲内で援助するという行動を取ります。

というか、もし誰も物乞いに何も与えなくなったら、彼らは何を考え、行動することができるのだろうか?良い方向に向かう期待はできるのだろうか?国が生活保護や社会保障の環境を整えてくれる期待はできるのだろうか?

皆さんは物乞いについて、どうお考えですか?

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